危機のシナリオ

 まだ実際に危機が起きてもいないのに、その危機がどのようなものになるかを論じるのはやや気が早いかもしれません。この手の危機は一種のカオス的現象であるため、わずかな初期条件の差によって道筋は大きく異なるからです。なので、これから先は頭の体操の領域を出ないのですが、リスク管理の世界では頭の体操こそが重要です。

 まず、遠からず何らかのきっかけにより日本国債の金利が上昇し始めるとします。銀行の国債保有の平均的な持値と言われる1.2〜1.3%レベル(10年国債で見た場合)を超えてくると、銀行の売りがかさんで金利上昇に拍車がかかる可能性があります。一方で、生命保険の平均的な予定利回りである1.5%水準を超えてくると生保の買いが入ってくることが予想されます。こうした節目節目の攻防を経てさらに金利が上昇していくと、危機感が一気に広がり、政治においても危機対応の必要性が認識され始めるかもしれません。

 これはある意味でチャンスです。ここで超党派的な対応で財政への信認回復に必要な手段が取られれば、危機は危機のまま収束し、破綻には至らないでしょう。

 しかし、一般的に見て、危機は人々の対応を狂わせます。人は保身のため、あるいは政治的な思惑のため、または心理学でいうところの認知的不協和から来る事実誤認や自己正当化などのため、危機への対応を誤り、危機を収束させるよりもさらに悪化させがちです。これは、現在の欧州の政治状況を見ても明らかですね。危機は、危機が起きてから対応すると思わぬ失策が重なって解決することが難しくなるので、発生する前に対応することが鉄則なのです。

 その発生前の対応が望めない以上、危機が発生した時に正しい対応がとられると考えるのは、極めて希望的な観測といっていいでしょう。百歩譲って正しい方向に向かい始めたとしても、対応のスピードに欠ければ結局は後手に回ります。正しくスピーディーな危機対応は、普段から十分な頭の体操をし、心の準備が出来ている場合に初めて出来るのであって、危機が起きたときに突然出来るようになるというものではありません。

 危機に際して彗星のごとく優れたリーダーが現れたりすることを期待する向きもあるかもしれません。危機はしばしばヒーローを生みます。ただ、彗星のごときヒーローが本当のヒーローになるとは限りませんし、財政危機は根拠のないヒーロー待望論を悠長に待ってはくれないでしょう。結局、危機に対する正しい対応はとられず、人為的なミスや不作為が重なって危機がさらに拡大する可能性の方が高いということを認識すべきだと思います。

 

リスク管理の想定を超える事態は起きるか

 それでは、財政危機という場合、金利の上昇はどの程度のものになるのでしょうか。まずは、通常のリスク管理でどの程度の金利上昇が想定されているかということから見ていきましょう。

 過去5年(2007年5月〜2012年4月)のヒストリカルデータから、99%信頼区間の金利変動幅を計算すると、10年金利で見て、1カ月で0.3%、1年で1.05%という数字になります。これがバリュー・アット・リスク(VaR)などのリスク管理で用いられる一般的な予想最大変動幅です。ちなみに、今のような金利状況の場合、金利変動率に基づいて計算するとリスクを過小評価することになってしまうので、金利変動幅に基づいて計算をします。また、もう少しテクニカルな話をすると、VaRの計算では分散共分散法/ヒストリカル法とか、ルートt倍法/ムービング・ウインドー法とか、いろいろ計算方法があるのですが、ここでは一番リスクが大きく出たヒストリカル法、ルートt倍法に基づく数字を使うことにします。

 ちなみに、銀行が多くの国債を保有している銀行勘定における国債のリスクは、そもそも規制上、厳密な意味でのリスク計算の対象になっていません。ただし一応はアウトライヤー規制というものがあって、銀行勘定が抱える金利リスクが自己資本に比して過大な銀行は特別な監督を受けることになります。そのリスクの大きさを測る基準として一般に使われているのが、この1年間で1%強上昇するというケースにほぼ相当します。

 また、日銀は別途、金利が1%上昇すると金融機関にどの程度損失が出るかという推計を行っています。

 いずれにしても、現状では、これくらいの範囲での金利上昇であれば多くの金融機関にとって十分にコントロールが可能で、少なくとも金融システムを揺るがすような事態にはならないと考えられます。4月19日に発表された日銀の金融システムレポートでもそう書かれています。少しは心強く感じられるかもしれません。

 しかし、財政危機による金利急騰という場合、このVaR計算や様々なシミュレーションで用いられるレベルの金利変動幅を大きく上回る金利上昇が起きると考えるべきでしょう。参考となるのは、イタリア国債の利回り変動です。2010年末、3カ月ほどの間にイタリア国債10年物の利回りは1%強上昇しました。1%強というのは先ほどの1年間で1.05%というのと幅は同じですが、それが3カ月で起きるとすると先ほどのVaR計算における金利変動幅と比べてかなり大きな変動となり、正規分布を前提にした確率計算では0.00016%くらいの確率でしか起こらない事象ということになります。約16万年に一回しか起こらない出来事です。これがいわゆるブラックスワン、またはファットテールといわれるものですが、実はこの確率計算は、その前提が明らかに間違っています。

 通常のリスク管理では、このように過去5年とか、場合によっては過去最悪のケースとかを参考にして確率計算をするわけですが、いままで財政危機が起きなかったときのデータをもとに財政危機が起きたときの計算をするというはそもそも的外れです。しかしながら、存在しないデータに基づくリスク管理は極めて難しく、これが現実のリスク管理の限界となっているわけです。

 

カオスと自己増幅過程

 しかしながらリスク管理における最大の問題は、さらに別のところにあります。危機が一過性のもので終わる保証はどこにもないということです。実際には、何か危機が起きたときに、一回限りの問題として過ぎていくケースはむしろ稀で、一つの危機が別の予想できない事態を生み、危機が危機を呼ぶスパイラル的な構造が生まれることが多くあります。先述した危機のカオス的性質です。このようなカオス的なスパイラル型自己増幅過程は、現在のリスク管理の実務には全く取り込めていません。

 さて、銀行の中では、大手銀行は相対的に国債の金利リスクが小さく、地銀が比較的大きなリスクを抱えています。想定を超える金利上昇が起きた場合、地銀の中にはコントロールできない規模の損失を被り、経営基盤が大きく毀損するところも出てくるでしょう。また、先述の日銀金融システムレポートでは、より大きな金利リスクを抱えていることが推測される公的金融機関については触れられていません。このあたりも、想定を超える金利上昇によって大きな問題が発生する可能性があります。一見して健全であると見られる大手銀行も、地銀や公的金融機関に問題が起きるような状況でも果たして本当に万全でいられるでしょうか。

 さらに、財政危機によって国債金利が急騰する局面では、直接的に国債で被る損失だけでなく、副次的な損失が出てくることが予想されます。金利が急騰すれば景況感は一気に冷え込むでしょうし、株価が急落したり、貸し出しが焦げ付いたり、国債以外の債券に大きな損失が発生することも十分考えられます。そうした連鎖的反応が起きたとき、本当に金融システムが大丈夫とは誰も言えないでしょう。

 イタリアに話を戻しましょう。2010年の金利急騰の後、2011年夏には、ほぼ1カ月でさらに1%強の金利上昇が起きました。このときは、すぐに金利が下がり、上昇分のほとんどが帳消しになりました。ですが、年末に欠けて金利は再び上昇を始め、今度は3カ月ほどで2%以上の金利上昇となりました。結局、1年数カ月の間に累計で3.5%程も金利は上がったのです。事前のリスク管理の世界では決して想定されていない連鎖的な金利上昇が現実に起きたわけです。

 このようなリスク管理の限界は、それ以前のリーマンショックでもすでに露わになっています。そうした一連の事態を受けて、リスク管理の考え方は現在大きく変わろうとしています。簡単にいえば、とにかくリスクを大きめに見積もり、とにかく自己資本を厚めに積むということです。これは、「リスクを合理的に見積もって適切な自己資本を積む」という本来の意味合いからすると、リスク管理の敗北といっていい事態かもしれません。また、こうした見直しの方向性自体、様々な副作用が懸念されるところで、本当にワークするのか不確実な部分があると思います。

 いずれにしてもリスク管理は、万全なものではありません。だから無意味である、というつもりはありません。限界があるとしても、リスク管理なしの現代金融ビジネスはあり得ません。しかし、リスク管理の限界を知ることは何よりも重要です。リスク管理における本当の課題は、実のところ、こうしたリスク管理の限界がきちんと理解されていないという所にこそ有るといっていいでしょう。

 

長いプロセスの果てに・・・

 さて、このコメントを書いている現在、日本の10年物国債利回りは0.8%くらいです。財政リスクが全く意識されていない水準といっていいでしょう。欧州危機に関心が集まっている間は、どうしても日本国債に資金が集中しますので、金利上昇にはなかなかつながりません。それでも、市場の風向きがいつ変わるともしれませんので、危機のシナリオを続けることにしましょう。

 イタリアのパターンをなぞるとすると、10年金利はまず1%くらいは上昇し、2%弱の水準となります。この第一弾の動きはすでにリスク管理の想定を上回るスピードで起きますが、金利の上昇幅としてはまあ想定範囲内であり、一気に深刻な状況になるわけではないでしょう。これはいわば市場による警告の段階で、ここでどのような対応がとられるかによってこの先の道筋が変わります。ここで危機が収束すれば、金融システム全体を揺らすような事態にはなりません。そこからさらに連鎖的な金利上昇が起きて2%レベルを超えるかどうかが大きな節目になると思われます。

 さて、この先もイタリアパターンをなぞるとすると、金利上昇はここで終わらずに、何回か波が押し寄せるようにして金利上昇が加速されていくことになります。そうなると危機が危機を呼ぶスパイラル的な展開となり、予測不能な事象が次々と起きるようになるでしょう。そうなれば地銀や公的金融機関の経営があやしくなり、それでもなお正しい対応がとられなければ金融システム全体が動揺する事態にまで発展することになるでしょう。

 ここで参考事例としているイタリアの財政危機は、危機が発生してから時間がかなり経過している今でも、どう決着するのかは分かっていません。イタリアは実際には極端に財政状況が悪いわけではなく、EUの主要創設メンバーでもあるため、最終的にはEUの支援により何とか持ちこたえる可能性が高いと考えられます。しかし、スペインの状況がさらに悪化すれば不測の事態も起きかねないでしょう。

 日本で財政危機が起きる場合も、明日危機が起きて明後日には破綻、というように一気に決着がつく展開にはなりません。何回かに分けて波のような金利上昇が襲い、そこで様々な岐路に差し掛かります。最終的な破綻に至る道を回避する機会は多くあるでしょう。かといって、そこで正しい決断が下されるとは限りませんし、そもそも財政問題を片づける簡単な方策があるわけでもありません。危機は何年もかかる長いプロセスなのです。

 幾度も訪れる岐路で選択を誤り続け、最終的に破綻に至る可能性は、個人的には決して低くないと思います。ですが、それは長いプロセスの果てに最終的に行きつく先であって、今の時点で破綻するかしないかを議論する価値はほとんどないといっていいでしょう。

 しかし、残念ながら日本の財政破綻をめぐる議論は、この破綻するかしないかの二元論に陥っており、実際的な議論を阻んでいるように思えます。これではリスク管理としては全くの不合格ですね。

 国としても、各金融機関としても、各企業としても、そして各個人としても、財政問題では究極のリスク管理能力が問われます。ですが、リスク管理は「破綻か否か」という二元論の問題ではなく、起こり得る事象を冷静にあぶり出し、実際にそうした事象が生じたときに適切な行動が出来るように準備しておくものなのです。

 実際の危機は、そのカオス的性質のために、事前にシミュレーションしたとおりになることはまずありません。ですが、不測の事態への対応力は、「不測の事態が起こりうる」ことを認識しながらシミュレーションを繰り返していくことでしか養うことはできません。

 

 

 さて、こうして見ていくと、財政問題とは結局は政府のリスク管理能力の問題なのだということが分かると思います。そして、その政府のリスク管理能力への信頼感こそが、前回述べた「信認」なのです。

 現在の日本国債の金利水準は、「日本政府は、今は何もしていないし、何も決められないが、危機が起きれば適切かつ機動的な危機対応力を発揮する」というとても現実的に妥当とは思えない前提のうえに成り立っているレベルと言えます。実際には、明示的にそのように考えている市場参加者が多いわけではなく、様々な要因からたまたまこうした状況となっているわけですが、こと財政リスクという観点から見れば、その潜在リスクは完全に無視されています。

 誰もが積極的にリスクを無視して突っ走っているというわけではなく、消極的な判断の積み重ねの結果としてリスクが無視される状況に至っているのです。それは、通常のバブルとは違いますが、一種の疑似的なバブルといっても間違いではないでしょう。

 バブルは、いつ何をきっかけに破裂するかは分かりませんが、必ずいつかは破裂します。そして、破裂する時期が引き延ばされればされるほど、破裂時の衝撃は大きくなっていくものなのです。

 

以上

 

2012年6月3日

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