市場はいつも正しいのか

 前回からかなり日が経ってしまいました。

 前回は、大統領選の予測市場を例にとって、市場が優れた予測能力を持っていること、その予測能力は市場参加者が持つ情報と信念を市場が効率よく集約するメカニズムから生まれていることを見ていきました。それでは、市場はいつも正しいのか、というところが今回のテーマです。

 前回添付したIEMの価格推移を見てみると、2012年の8月〜9月に、オバマ候補の当選確率が急上昇しています。まだ、1カ月以上の選挙戦を残し、またテレビ討論会も行われていないときに、オバマ候補当選の確率は80%を一時的に超えています。その後、テレビ討論会でのロムニー候補の健闘などもあり、オバマ候補当選確率は元の60%強の水準に戻りますが、この動きは明らかに市場の行きすぎによるものと見られます。

 世の中には予測のつかないことがあります。オバマ候補がいかに堅実であるとしても、致命的な失言をしてしまう可能性はゼロではありませんし、急病にかかって健康問題が発生するかもしれません。あるいはオバマ候補への支持を急減させるような突発的な出来事が起こらないとも限りません。支持率に大差がなく、まだ選挙戦の最終盤を残しているのに当選確率80%はいくらなんでも行きすぎです。

 なぜこのような行きすぎが生じるのでしょうか。市場では、人々は常に他者に先んじようとしています。オバマ候補優勢の中で選挙戦も残りわずかとなったとき、ある投資家(たち)が「オバマ再選で決まりだ」と踏んで『オバマ候補当選』取引を積極的に買い出したのでしょう。それが、オバマ候補優勢とみる他の投資家の焦りを誘い、買いが買いを呼ぶ展開になったものと推測されます。市場には、こうした正のフィードバック作用が強く働いています。

 この正のフィードバック作用こそが市場を不安定にさせる最大の要素です。

 予測市場の例では、この行きすぎはすぐに是正されています。結局、60%強の水準が適正な水準だったのだと思います。

 詳細に分析をすればオバマ候補が優勢であることは分かります。ですから『オバマ候補当選』取引の適正価格は50%以上です。しかし、80%は明らかに行き過ぎですから、その間のどこかに自ずと落ち着くべき水準というものがあるはずです。

 市場の参加者が冷静さを維持し、本来の適正水準を探ろうとする動きが続く限り、市場は一時的な行きすぎを自ら是正することが出来ます。

 しかし、予測市場ではある程度適正な水準を探ることが比較的容易であるとしても、すべての市場がそうだというわけではありません。

 

バブル発生のメカニズム

 市場の適正水準を知ることが可能であるのか、いくつかの代表的な市場を例に見てみましょう。

 まずは債券(国債)市場です。債券市場は、主要な市場の中で、最も適正水準を推測しやすい市場です。長期国債金利の適正水準を測るやり方はいくつかありますが、少し単純化してしまうと、適正長期金利≒予想実質成長率+予想インフレ率+財政プレミアムです。実際には、金融政策の現状と今後の見通し、流動性プレミアムなども影響するのですが、ここでは金利形成の理論的背景をみることが目的ではないので、ごく単純化したままで話を進めましょう。

 もちろんこの単純化した前提のもとでも、予想実質成長率や予想インフレ率、財政プレミアムは分析する人によって水準が異なってくるでしょうから、適正と思われる長期金利の水準も分析者によって異なります。しかし、適正水準を推測する手掛かりがあり、また、分析者によってその水準が全く異なったものとなってしまうということが起こりにくい市場ということは出来ます。このような性質を持つ債券市場ではバブルは起こりにくいと考えられます。

 もっとも、市場参加者に多様性が欠けている場合はその限りではありません。たとえば、現在の長期日本国債の金利水準(0.7〜0.8%)は本来の適正水準よりも低いのではないかと私は考えています。日本の財政の脆弱性がプレミアムという形で全く織り込まれていないからです。通常、先進国では財政プレミアムは比較的小さめですし、人によって適正と考えるプレミアム水準にも差があるでしょうが、銀行や国内機関投資家以外の多様な投資家が金利形成に大きく影響を与えていれば、日本の長期金利の水準はもう少し高めとなっているはずです。そして、それこそが本来の適正な水準であると考えられます。

 次に株式市場はどうでしょうか。株式市場は、もともと適正と考えられる水準に大きな幅があり、分析者によってかなりの差がみられる市場です。

 株価の理論価格は、企業が生み出すと予想される将来の税引後利益を、リスクプレミアムを含んだ金利で割り引いた現在価値です。ただし、将来の企業収益の予想、とりわけ遠い将来においての予想は極めて困難ですし、リスクプレミアムの水準もよく分かりません。

 代替的な手段としては、予想PER(この場合の予想は1〜2期先の予想)で10〜15倍などというような見方があります。しかし、計算の基となる予想EPS(一株当たり当期利益)の水準はときとして大きく変わることがありますし、市場がその企業をどのような企業とみているかによってPERの水準自体も大きく異なってきます。景気循環に左右されやすい企業と見られれば10倍以下で取引されますが、高成長企業と見られれば25〜30倍、もしくはそれ以上で取引されることもあります。

 個別の企業と比べると、市場全体で見れば適正と考えられるPERの幅は多少狭まります。しかし、仮に10〜15倍が適正だと見られているとしても、上昇局面において15倍で頭打ちになることや、下落局面において10倍で底打ちになることが保証されるわけではありません。市場のムード次第で、適正と考えられるPERの水準は変わっていくからです。

 要するに、株価において適正な価格というのは有って無いようなものなのです。今の相場環境であればいくらぐらいが居心地のいい水準かというのはあっても、相場環境が変わればそうした水準感はいっぺんに吹き飛びます。

 こうした株式市場では、相場のムードが変わるとそもそも適正と考えられる相場水準が切り替わり、その時に上がるから買われる、もしくは下がるから売られるという正のフィードバックが働いて、思いもかけないほどに価格が変動することが起こりえます。

 為替もまた適正価格が測りづらい市場です。長期的には、購買力平価に沿って動くと言われますが、購買力平価は定義によって水準が大きく異なります。また、短期的には購買力平価は相場変動にほとんど影響を持たず、その時々の市場のテーマによって、貿易収支や経常収支を材料に動くこともあれば、金利水準で動くこともあります。

 一般に、株式市場や為替市場のように、適正な水準というものが測りにくく、人によって適正と考えるレベルが大きく異なる市場では、あるべき水準に戻っていくという機能が働きにくいので、バブルが発生しやすいと言えるでしょう。

 1980年代後半の日本株のバブルのときには、PERは60倍あたりまで取引されていました。どんな理屈もそんな株価水準を正当化できるとは思えないのですが、当時はまだまだ株価が上がるという見方(というよりも欲望)が大勢で、冷静に適正水準を見極めようというような投資家はほぼいませんでした。いたとしても上がり続ける相場を前に、淘汰されるか、仕方なくついていくしか生きる道はなかったのです。

 市場は、そこに参加する人々がもつ情報を集約するものです。人々が共同幻想に陥って誤った情報に振り回されれば、市場もまたそれを反映します。欲望が信念にとって代われば、市場はその欲望を反映します。逆もまたしかりです。バブルがはじけて相場が下落し続ければ、恐怖が投資家の行動を支配し、市場はその恐怖にゆがめられた投資家心理を写し出します。

 市場は人々や社会の鏡です。市場の正しさは、冷静に適正な価格水準を追求しようとする多様な投資家が市場を支配するときにのみ保証されます。人々が欲望や恐怖に支配されているときには、市場はただ理不尽に荒れ狂うだけです。

 

市場は社会の鏡でしかない

 市場は優れたメカニズムを持っています。しかし、市場の質は参加者の持つ情報や信念に規定されます。参加者の質が低ければ、市場の果たす機能はより限定的になります。市場は人々の、ひいてはその社会の鏡であるということは、市場で長く過ごしてきた私にとっては当たり前のことなのですが、一般的にはそのように認識されることはあまりありません。

 一般に、バブルは市場が生み出すモンスターのようにとらえられます。しかし、バブルは人々や社会が生み出すものです。最近では市場が格差を生むという見方が大きな影響力を持っていますが、格差は企業を取り巻く環境や社会が生み出すものです。市場が近視眼的な経営を生み出していると言われます。ですが、それは近視眼的な投資家が支配的となり、経営者もまたそれに振り回されているからにすぎません。市場と長期的な視点からの経営は決して相反するものではありません。市場が近視眼的経営を生み出しているように見えるなら、それは社会や企業が近視眼的になっているのを市場が映し出しているだけなのです。

 

市場を否定しても何も解決しない

 市場が社会の鏡であるなら、市場を否定することは何も生み出しません。

 たとえば市場をなくすことによってバブルを防ぐことができるでしょうか。バブルを、値上がり期待によって資産価格が非合理的な水準まで上昇することと定義するなら、自由な取引が妨げられていれば値上がり益を得ることもできないので、確かにバブルは起きません。しかし、バブルを、資源の配分が著しく歪められ、持続的な成長を実現できない状態だと定義すれば、市場がなくてもバブルは起きます。旧ソ連で、ダム建設や兵器製造、宇宙開発などに資源配分が集中し、人々の生活を豊かにする日用品や消費財の供給が著しく損なわれたこと、そしてそれが旧ソ連の長期的な経済成長を著しく阻害したことを見れば、そのことは明らかでしょう。

 では、市場を規制すればいいのでしょうか。それも違うと思います。規制によって市場参加者の行動や判断にバイアスがかかったり、多様な投資家の参加を阻害すれば、市場の機能は失われ、歪んだ価格形成が促されるだけです。

 規制によってバブルを防ぐとか、格差の拡大を防ぐというのは、表面的にに部分解を求めることでしかないと思います。

 バブルを防ぐ効果的な規制が果たして存在するのかは疑問ですが、仮にあったとしても、バブルを防ぐために別の歪みが生じ、それが別の副作用を生みます。市場を規制することで格差が是正されるとは到底思えませんが、仮にそのような規制があったとしても、資源配分の歪みを通じて別の格差を生み出すだけです。(派遣労働規制などはその最たるものでしょう。結局雇用の増進には全く役に立たず、正社員になれるものとそうではない者との格差を固定化する結果につながっています。)

 何か問題が起きると「市場を規制せよ」という声が上がるのは、経済や市場がもつ複雑性を全く無視する考え方です。経済や市場は、全体を構成する各要素が相互に影響しあう複雑系です。そのために、規制がその直接の目的を果たすことができないということが頻繁に起こりますし、複雑な相互作用の中で予想外の副作用を引き起こしたります。

 なによりも、問題が起きれば規制にすがればいいという安易な依存心を生み、自助努力や切磋琢磨といった要素が失われる危惧があります。こうした精神的、文化的な影響ははっきりと測定できないために多くの場合見過ごされがちですが、本当はもっとも重要な規制の副作用と言えるかもしれません

 もちろん、バブルを防いだり、防げなかったとしてもその影響を最小限にとどめたりする努力は必要です。しかし、それは短略的に市場を規制することで達成できるわけではありません。格差を是正することは、社会の安定を維持するうえで極めて重要です。しかし、それは市場を規制することによるのではなく、セーフティネットを充実させ、再雇用・再挑戦の機会をより多く作り出すことで実現すべきです。

 市場に関しては、むしろ市場の歪みを正し、市場がその機能をいかんなく発揮できるように制度を整備するというのがあるべき姿だと思います。もちろん、制度だけしっかりしていても、市場の質を保証することはできません。市場関係者が、多様で合理的な市場を形成するために不断の努力を続けることが肝要です。

 

民主政治と市場経済の相克

 しかし、残念ながら、市場を巡る議論は極端に偏りがちです。片や、今は流行りませんが、市場は絶対であり、市場こそが正しい答えを導いてくれる唯一のものであるという考え方があります。片や、市場はバブルや格差を生むものだから規制すべきであり、否定すべきものであるとする考え方があります。

 どちらの考え方も、人間の非合理性を忘れた議論です。市場も、市場に拠らない他のメカニズム(政治など)も、すべては合理的とは到底言えない人間と社会が作り出すものなのです。ですから、市場は必ずしも合理的とはいえませんし、その市場を否定したところで問題は解決されません。歴史的に見て、市場の失敗よりも、政治の失敗の方がより愚かしく、より悲惨な結果をもたらしてきたことを忘れてはいけません。

 市場の機能を最大限に活かしつつ、市場には果たせない機能を政治や社会が補完していくという考え方は、そうした前提のもとでは最も妥当な議論だと考えられます。ですが、実際には必ずしも受け入れられていないようです。大変優れたトラックレコードを持つ北欧モデルがまさにそうなのですが、日本では北欧モデルが持ちだされるときは福祉型システムとして紹介され、その市場主義的な側面にはスポットライトが当てられません。

 市場を巡る議論が迷走する背景には、政治と経済、とりわけ民主政治と市場経済の間に横たわる深い溝があるように思えます。端的にいえば、政治においては、経済は単なる政争の具(もしくは既得権益の戦い)と化し、経済や市場に対する理解を欠いたままに政策論議がたたかわされているのです。

 もちろんそれを克服している国(北欧諸国など)もありますが、そうではない国が大半です。日本も、もちろん後者に分類されます。私は、このような民主政治と市場経済の相克こそが現代社会が抱える最大の課題ではないかと考えており、少なくとも大いに議論すべきテーマだと思っています。

 というところで、またまた長くなってしまいましたので、今回はこのあたりにして、また続きは別の機会に譲りたいと思います。

2013.1.6

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